石田徹也の踏切事故の場所は?生い立ちや家族・彼女も詳しく!

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亡くなってなお注目を浴びている画家・石田徹也さんの生い立ちや家族について知っていますか?

踏切事故を起こした場所は小田急線沿いの町田駅との話もありますがくわしい場所は…?

謎が多い石田徹也さんについて、家族や生い立ち、踏切事故の真相を詳しく調べました。

石田徹也と踏切事故の関係は?

石田徹也さんと言うと、「孤独感」や「不安感」など、現代日本の社会の闇を描き続けた作風が特徴の画家ですね。

作品の詳細は後ほどお伝えしますが、こんな作風をお持ちの方です。

いかがですか?かなりインパクトがあって心に残りませんか?

一度見たらずっと頭に残ってしまう、、そんな作品を多く生み出した石田徹也さんですが、2005年に31歳という若さでこの世を去っています。

亡くなった原因は踏切事故です。

小田急線の沿線で踏切事故になったことで、帰らぬ人となってしまいました。

石田徹也が亡くなった踏切の場所は町田?自殺説も?

石田徹也さんが亡くなった原因は小田急線沿線の踏切事故だとお伝えしましたが、詳しい場所は分かっているのでしょうか?

調べてみたところ、石田徹也さんの踏切事故の発生場所はどうやら町田市だということが分かりました。

町田駅というと小田急が走っていてかなり利用客数も多い駅ですよね。実際の場所が町田駅周辺かは分かりませんでしたが、石田徹也さんの踏切事故の場所は町田市だということがわかりました。

踏切事故ということもあり、事故ではなくて自殺では?という憶測も出ています。

たしかに石田徹也さんの作風を見てみると、どこか絶望や闇を抱えているような印象を受けます。描かれている男性が石田徹也さん本人にも似ていると感じて(本人はその件は否定していますが)しまい、男性の悲しい表情から、石田徹也さん自身も苦しいものを抱えていたのでは?と考えてしまいました。

石田徹也の生い立ちは?出身や幼少期からの経歴

31歳で踏切事故で亡くなってしまった石田徹也さんですが、どこの出身で幼少期はどんな少年だったのでしょうか。

経歴について改めてみていきます。

石田徹也さんが生まれたのは「静岡県焼津市」です。石田徹也さんは1973年に4人兄弟の末っ子として誕生します。

小学校から高校までは地元の焼津市の学校を卒業し、大学は武蔵野美術大学に私学をしています。

  • 小学校:焼津市立小川小学校
  • 中学校:焼津市立小川中学校
  • 高校:静岡県立焼津中央高等学校

武蔵野美術大学では視覚伝達デザイン学科を卒業されています。

石田徹也さんは幼少期から絵を描くことが大好きな少年だったようで、保育園に通っていたころから先生に紙をねだっては、自分で絵をかいて遊んでいたそうです。

小学生に上がると、宿題や学校の準備も毎日怠らず、家の掃除やお手伝いも率先して行っていたそうです。一方で甘えん坊な性格でもあったそうです。このあたりは4人兄弟の末っ子らしい一面ですね^^

保育園の頃から絵が大好きだった石田徹也さんは小学生の時からすでに絵の才能を表していたそうです。小学5年生の時にはクラスを代表して学級旗を作ったり、毎年小学校内の絵を描く会では賞を受賞していたそうです。

中学校に進んだ石田徹也さんはもちろん美術部?と思ったのですが、中学校ではサッカー部に入部します。石田徹也さんにサッカーのイメージがなかったのですごく意外な印象を受けました。

ただ、高校の進路を決める頃になり、石田徹也さんの兄たちがそれぞれ希望の道へ進んでいるのを見て、自分はやはり絵を描きたいという気持ちが強くなっていったそうです。

このころの石田徹也さんの絵の実力は、当時の担任の先生から「あなたの将来は絵で賞をもらい有名になっている」と言われるほどだったそうです。

実際にそのようになったので、すごいですよね・・

高校では美術部には所属せず、一人で人物画などを描いていたそうです。その後大学進学を機に東京へ上京します。

大学卒業後は本格的に画家としての道を歩き出します。

その後、31歳の踏切事故でこの世を去るまでに、様々な賞を受賞しています。

これまでに石田徹也さんが受賞された主な賞はこちらです。

  • 第6回グラフィックアート『ひとつぼ展』グランプリ受賞
  • 毎日広告デザイン賞優秀賞受賞
  •  キリンコンテンポラリーアートアワード奨励賞受賞

賞の受賞以外にも、26歳の時には東京の銀座で「石田徹也展」として個展を開催するほどの人気をほこりました。

その後、2005年に踏切事故により亡くなってしまうのですが、亡くなった翌年の2006年には石田徹也さんの作品がオークションに出品され、何と1,200万円という金額で落札されています。

その時に落札された作品が「無題」という作品です。

何手表現したらいいのかわからない印象を受けます。ただ、すごく見入ってしまって、心に残ります。見ていると何だか悲しい気分になってくるような・・そんな印象です。

その後2012年に開催された別のオークションには「囚人」という作品が出品されこちらはなんと予定落札価格の3倍の約9,239万円という衝撃の価格で落札されました。

こちらの作品はとても有名なので、見たことがある方もいるのではないでしょうか。

亡くなった後でもなお、とても注目を浴びている石田徹也さんですが、生前はいくら人気があっても画家一本では食べて行けずに常にバイトをしていたそうです。

親からの収入の打診もあったそうなのですが、石田徹也さんはそれを拒否し続け、バイトをしながら作品を描き続けたそうです。

自分の作品が1億近い価格で落札されたことを知ったら、何を思うんでしょうかね。。

石田徹也さんは2009年に紺綬褒章も授与され、遺族が受け取られています。

石田徹也は結婚してたの?家族や彼女は?

石田徹也さんの家族構成についても気になりますね。

石田徹也さんは4人兄弟の末っ子とお伝えしましたが、家族構成としては、父・嘉弘さん、母・サチ子さん、兄3人という構成でした。

父親は焼津市で市議会議員も務められた方です。

3人の兄については、長男は一級建築士、次男は銀行員、三男は服飾デザイナーをされているとの情報がありました。

石田徹也さん自身は亡くなるまで結婚はしておらず、そういった深い仲の女性がいたのかも分かりませんでした。

石田徹也さんが亡くなったあとに開催された「石田徹也ー僕たちの自画像ー展」にあたり、父嘉弘さんはこうコメントを発表しています。

「徹也が亡くなって、残された膨大な作品の数と大きさに途方にくれ、『絵そのものは、全て捨ててしまおう』と決心し、作品の写真をとり、遺作集を発行させて頂きました。その後、皆様方から作品に関してのありがたい評価を伺い、東京でも、このような大きな展覧会が出きることになりました」

石田徹也さんは踏切事故で亡くなり、自殺では?との憶測も出ているので、ご家族としてはその作品を「全部捨ててしまおう」と思い悩んだのでしょう。

でも、ご家族がこのように石田徹也さんの作品に触れられる機会を作ってくださったことで、より多くの人の心に届いて、石田徹也さんのファンになったという方も増えるきっかけになったんだと思います。

2019年にはスペインのマドリードで個展も開催され、何と31万以上の方が足を運んだそうです。

ご両親は石田徹也さんの作風については「理解できなかった」と話されていますが、自分たちの子供がこうやって世界中で評価されていることについてはうれしいともお話されていました。

世界中から愛されてファンがいるなんてすごいことですよね。

石田徹也の作品がすごい!1度見たら忘れない作品の数々

先ほどから何点か石田徹也さんの作品をご紹介していましたが、石田徹也さんにはほかにも多くの作品があります。

いくつかご紹介します。

https://twitter.com/naonaonao01/status/1170619773584982016?s=20

やはりその作風が印象に残っている方も多いようで、心に突き刺さるという感想を述べている方も多くいました。

石田徹也さんの作品には便器やビニール袋など、日常生活でよく目にするものと青年が一体化したような作品が多いのが特徴です。

作品を見てわかると思うのですが、出てくる青年がほとんど同じような顔をしていませんか?

ご本人ととても似ていると思うのですが、石田徹也さん自身は似ているということについては否定をされています。

石田徹也さんの作品はとても強いメッセージ性を帯びているように感じるのですが、石田徹也さんはテーマを押し付けるつもりはなく、観る人が自由にそれぞれ好きなように感じてくれればいいと考えていたそうです。

とはいえ、石田徹也さんの作品にはこの現代社会で生きる私たちが心の奥底で抱えている「もの」を表現されているように感じて、そこにある哀しさや何か重たいものを映し出しているような印象を受けます。

そしてその描き出されている作品の奥に隠された「もの」というのは私たちみんなの心の奥にあるものなのかなと感じます。だからこそ、亡くなった今でも、多くの人に愛されているんでしょう。

個人的に特に印象に残った作品はこちらです。

https://twitter.com/granada20922816/status/1169640824910409729?s=20

青年の表情が何とも言えず、この青年は何を考えているんだろう、何を思っているのかなと見入ってしまいました。

石田徹也の人気はスペインでも!SNSでも話題!

先ほども少しお伝えしましたが、石田徹也さんは海外でも大人気の画家です。

2019年スペインでは個展『Autorretrato de otro (他人の自画像)』が、レティーロ公園内のベラスケス宮殿開催され、大きな話題を呼びました。

石田徹也さんの本格的な個展がヨーロッパで開催されるのは初めてということもあり、大きな注目を浴びていましたが、訪れた人数は31万以上となったそうです。

生前、石田徹也さんは自分のノートに「いつかヨーロッパにて制作し、作品を発表したいと思います。それが一生の夢です。」と残していたそうです。

亡くなって10年がたった今、石田徹也さんの一生の夢が叶ったんですね。ご家族もきっとうれしかったと思います。

ネットでも石田徹也さんの作品がさらに話題になっていました。

https://twitter.com/legereetligare/status/1171092315194003456?s=20

元から根強いファンがいた石田徹也さんですが、今回のヨーロッパ個展でさらに注目が高まり、それを喜ぶファンも多かったようです。

石田徹也の作品はマキシマムザホルモンにも?

過去にはマキシマムザホルモンのCDジャケットにも使われたこともある石田徹也さんの作品。

マキシマムザホルモンのジャケットに使われた作品は「草食竜」というものです。

こちらは2003年に描かれた作品です。

とてもインパクトのある作品ですよね。

マキシマムザホルモンもすごく印象的で人の頃に強く残る歌を歌いますよね。そんな石田徹也さんの作品とマキシマムザホルモンの音楽の世界観がマッチしたということでしょうね。

亡くなってなおその人気は衰えことを知らず、むしろどんどん注目度が高まっている石田徹也さんにこれからも注目ですね。

石田徹也のプロフィール

石田 徹也
生年月日:1973年6月16日
享年:31歳(2005年5月23日)
出身:静岡県焼津市
高校:静岡県焼津中央高校
大学:武蔵野美術大学

石田徹也の踏切事故の場所は?生い立ちや家族・彼女も詳しく!まとめ

今回は画家・石田徹也さんの踏切事故の場所や原因の詳細、家族構成や人物像、これまでの経歴についてまとめてみました。

石田徹也さんが亡くなった場所は町田市周辺だと分かりました。小田急線沿線での踏切事故でした。

また、家族にはご両親のほかに3人のお兄さんがいることも分かりました。石田徹也さんは幼少期から絵が大好きな少年で、生前はヨーロッパに絵を発表したいとも話されていたことも分かりました。

今回、亡くなって10年がたち、本人が夢だと語ったヨーロッパでの個展開催も叶い、ますます注目度が高まっています。

また日本でも個展が開催されることを願います。