タレントやダンサーとして活躍中の紅蘭さんには弟がいました。
しかし弟は23歳という若さでマンションから転落し無亡くなってしまいました。
転落の原因は事故ではない?など様々な憶測がありました。
そこで、ここでは改めて紅蘭弟の転落の原因について調べてみました。
紅蘭の最愛の弟転落で亡くなったのはいつ?
紅蘭さんの弟の名前は「草刈雄士」さんです。
雄士さんは「ズットズレテルズ」というグループに所属していたミュージシャンで、ラップなどを得意としていました。
このズットズレテルズにはダウンタウン浜田さんの息子さんでもある、ハマオカモトさんも所属していたそうです。
紅蘭さんの弟・雄士さんが亡くなったのは、2015年2月14日の夜です。
2月14日の夜遅く、草刈正雄さんの個人事務所がある渋谷のマンション7階から転落し、亡くなってしまいました。
雄士さんが亡くなった当時の年齢は23歳でした。
23歳という若さと、マンションからの転落ということで、「本当に事故?」「自分で飛び降りた?」など様々な憶測が飛び交いました。
紅蘭さん弟・雄士さんの転落の原因は?「躁うつ病」説や「薬物」疑惑は?
紅蘭さんの弟・雄士さんが転落した本当の原因はなに?当時、早すぎる雄士さんの死について、様々な憶測が飛び交いました。
警察や消防の調べた結果、紅蘭さんの弟・雄士さんの転落の原因については、「事故」ということで結論づけられました。
警察の発表によると、雄士さんは転落する際、べランドの手すりの一部にしがみつこうとしたらしく、転落した後の雄士さんの手には手すりの破片が握られたままだったいいます。
しかしやはり早すぎる死やなぜベランダからの転落ということで、一部では、自ら飛び降りたのでは?という憶測も後を絶たず・・・
その原因として雄士さんは「躁うつ病」などの精神的な病気を抱えていたのではないか?そのせいで衝動的に飛び降りてしまったのでは?
という声がネットで上がっていました。ただ、雄士さんがそのような精神的な病で通院していたという事実はなく、あくまでも噂のようですが・・
そして、同じように、雄士さんには薬物疑惑も浮上していました。もちろん薬物疑惑なんて根拠はなく、こちらもただの噂と見て間違いないでしょう。
タトゥーを入れていたり、ラッパーという職業だったりしたことで、薬物のイメージがついてしまっていたのでしょうか。残された家族からしたら迷惑な話ですよね・・
いずれにせよ、関係者も自殺の可能性を否定しており、雄士さんの転落の原因は事故だったと言えるでしょう。
あまりにも悲惨で若すぎる転落事故だっただけに、様々な憶測を呼んでしまったと考えられます。
紅蘭さんの父・草刈正雄さんの深い悲しみ
紅蘭さんの弟・雄士さんが転落したのは草刈正雄さんの個人事務所ということもあり、事故から2時間後に、草刈正雄さんも現場へ駆けつけました。
この時、草刈正雄さんは「なんで死んだんだぁ!」と地面に突っ伏して大声で泣き叫んでいたそうです。
最愛の息子・雄士さんの壮絶な転落事故の翌日にも関わらず、草刈正雄さんは気丈にもテレビ番組の収録に臨んでいたそうです。
息子の死の翌日に仕事なんて、いったい草刈正雄さんはどれだけ苦しい想いをしながら臨んだのでしょうか。。
雄士さんの四十九の法要では、草刈正雄さんはこのように語っています。
「おれの愛する雄士。こんなことを言うのも変だよな。でも、パパが結構好きな言葉が4つあってさ。
「ごめんな」というのと、「許してくれ」「愛しているよ」「ありがとう」
この言葉には、草刈正雄さんの心情がよく表れています。
草刈正雄さんは子供たちがまだ小さかった頃、自身の仕事の不調が原因で子供たちを理不尽に怒ってしまったり、八つ当たりをしてしまった過去があるそうです。
それが、息子・雄士さんとの間のわだかまりとなり、そしてそのわだかまりを解消することができないまま、雄士さんの転落事故が起こってしまいました。
そんな草刈正雄さんの深い悲しみと後悔が四十九日での言葉となって表れていました。
紅蘭さんの父・草刈正雄さんは悲しみを乗り越えて、、
草刈正雄さんには、昔、子供たちとよく行った行きつけのカラオケ屋さんがありました。
最愛の息子・雄士さんの転落事故により、深い悲しみに落ちていた草刈正雄さんでしたが、2015年の12月頃、雄士さんとの思い出が詰まったカラオケ屋さんを訪れたそうです。
その際、草刈正雄さんは「これから大河やりますんで、よろしくお願いします」と翌年に始まる大河ドラマの挨拶に行ったそうです。
悲しみに落ちていた草刈正雄さんでしたが、何とか立ち上がろうと必死に自分を奮い立たせていたんですね。
このカラオケ屋さんには、雄士さんが出演する映像が入った曲があり、草刈正雄さん十八番の曲だそうです。
紅蘭さんの足には弟・雄士の顔タトゥーがある
草刈雄士さんの転落事故により深い悲しみに落ちたのはもちろん父親だけではありません。
雄士さんの姉である、紅蘭さんもまた、最愛の弟雄士さんが亡くなったことで、大きく体調を崩してしまいます。
雄士さんが亡くなった翌月にはフェイスブックで急逝した弟を悼む長文を綴りました。転落事故後、初めて心境を明かしたこの投稿は話題になりました。
この投稿は、「Rest in peace my brother(弟よ安らかに眠れ)」という書き出しで始まり、若すぎる死について、「23才、、、早すぎた」と惜しみ、幼少期から大人になるまでの雄士さんとの思い出を、亡き弟に語りかけるように振り返りました。
雄士さんの仲間たちが編集したというクラブで歌う弟の映像が見られるURLも添付して、「彼の音楽は永遠に生き続ける」と紹介しました。
この投稿に対して、ファンからは多くの励ましの声が届きました。
その後、紅蘭さんは、弟が大好きだったニューヨークへ行き、右足に雄士さんの顔と「大好きな弟、永遠に」という意味の文字のタトゥーを入れました。
紅蘭さんはこのタトゥーについて、「弟のまんま顔いれました。愛しすぎているので」と素直に答えていました。紅蘭さんの弟・雄士さんに対する真っ直ぐで深い愛情が感じられますよね。
草刈正雄さんの個人事務所では、ホームページも立ち上げ、毎月14日の月命日には雄士さんの遺した絵画もアップしています。
草刈正雄さんホームページ:http://barbie-office.com/
紅蘭さんの彼氏が逮捕?籍を入れない理由は?
最愛の弟の転落死という壮絶な経験をした紅蘭さんでしたが、2018年にラッパーのリッキーさんと事実婚をして、女の子も出産しています。
現在、リッキーさんは逮捕されるなど、世間を騒がせていますが、もう一つ世間が注目しているのが、2人が籍を入れていないということです。
実は紅蘭さんとリッキーさんが籍を入れないのにはちゃんとした理由がありました。
それは、紅蘭さんは「草刈姓を絶やしたくない」という考えを持っているためです。
紅蘭さんの兄弟は転落事故で亡くなった雄士さんと、妹の麻有さんの3人。唯一の男の弟が亡き今、紅蘭さんは自分が草刈性を守る、と決意し、入籍はしないで事実婚という道を選びました。
見た目がハデなこともあり、自由奔放に見られがちな紅蘭さんですが、実はすごく深い考えがあっての事実婚だったんですね。。
紅蘭さんの芸能界デビューのきっかけは?
女性から見ても芯が強くてかっこいい紅蘭さんですが、芸能界入りのきっかけはいったい何だったのでしょうか。
紅蘭さんによると、実は元々は芸能界入りに興味はなく成り行きで入ってしまったとのことです(笑)
洋服ブランドを経営する友人からモデルに誘われた紅蘭さんは、その友人のウェブサイトのモデルができればくらいの軽い感じでいたそうです。
しかしそれを本格的なモデル業だと勘違いした友人が現在の事務所を紹介して、芸能界の仕事をするに至ったそうです。
きっかけが成り行きとはいえ、大活躍ができるあたりがさすが紅蘭さんですよね。しかも紅蘭さんは芸能活動を始めるからには、「自分がテレビに出る事で日本に刺激を与えたい」という強い信念の元、活動を続けているそうです。
紅蘭さんの家族は芸能人一家
紅蘭さんの家族は父、母、妹、全員が芸能人という芸能一家です。
父・草刈正雄さんは日本を代表するダンディーでイケメンな俳優です。最近ではバラエティ番組でも存在感を発揮していますよね。紅蘭さんの面白さは父・草刈正雄さん譲りなのかもしれませんね(笑)
紅蘭さんの母は大塚悦子(おおつかえつこ)で、元モデルとして活躍されていました。現在は草刈一家が所属する芸能事務所の代表を務めています。
そして、妹の麻有さんは現在、テレビ、舞台、CMなどで活躍する女優さんです。
セブンティーンの専属モデルも務めたいた、美貌の持ち主で、「3年B組金八先生」など、人気ドラマにも出演しています。父・草刈正雄さんとも親子共演を果たしています。
紅蘭さんと弟・雄士さんのプロフィール
紅蘭
紅蘭(くらん)旧芸名は草刈 紅蘭(くさかり くらん)
生年月日:1989年8月30日
出身地:東京都
血液型:A型
趣味/特技:ダンス
サイズ:T166 B89 W58 H87
所属: バービィオフィス所属。
弟・雄士
草刈雄士(くさかりゆうし)
生年月日:1991年3月20日
出身地:東京都
血液型:不明
職業:ミュージシャン(ラッパー、ヴォーカル)
所属グループ:SIMI LAB、ズットズレテルズ
▼▼ズットズレテルズの楽曲が気になる方はこちら↓↓
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紅蘭弟の転落の本当の原因は?壮絶な経験を乗り越え活躍を続ける紅蘭 まとめ
今回は、紅蘭さんの最愛の弟・雄士さんの転落事故について改めて調べてみました。
壮絶な経験を乗り越えた紅蘭さんだからこそ、人を惹きつける魅力を発揮していることが分かりました。
これからも活躍を続けていってほしいです。