山口百恵さんの複雑な生い立ちをご存じですか?
14歳にしては哀愁漂う雰囲気で人気だった山口百恵さん。
その裏には凄惨な生い立ちや実の父親との深い確執が隠されていました。
のちに自叙伝で語った自身のバックグラウンドを知ると、彼女の哀しみを帯びた雰囲気にも納得しました。
今回は山口百恵さんの壮絶すぎる生い立ちや父親・母親・妹など家族関係をまとめてみました。
山口百恵の壮絶な生い立ち
1972年「スター誕生」というオーディション番組を経て、芸能界デビューを果たした山口百恵さん。
デビュー翌年には映画にも出演し、主題歌も担当するなど、本格的な芸能活動に入っていきます。
山口百恵さんがデビューしたのは14歳の時ですが、当時からどこか哀愁漂う姿が印象的でしたよね。
スター誕生の萩本欽一さんは番組スタッフに「あの子は何か背負っているものがあるの?」と聞いたほどだそうです。
そんな山口百恵さんのバックグラウンドには悲しい秘密がありました。
母と妹と3人暮らしだったという山口百恵さん。
ここからは彼女の身の上話をしていきたいと思います。
生い立ち①愛人の子供
山口百恵さんは優しい母親とかわいい妹と3人で暮らしていました。
父親は別のところに住んでいて、週に1回ほど百恵さんの家に来ていたそう。
というのも、実は、山口百恵さんの父親は母親と愛人関係にあったそうです。
そのため母親とは入籍をしておらず、本妻との間には子供もいたそうです。
しかも、山口百恵さんが自分が愛人の子供だと知ったのは、デビューをした後に週刊誌で報じられたことがきっかけだったそうです。
自分自身の出生の秘密を週刊誌で知るって、当時まだ10代の山口百恵さんにとってとても辛い経験ですよね。
生い立ち②貧しい母子家庭
愛人の子としてこの世に生まれた山口百恵さん。
父親からは認知はされてはいたものの、養育費の援助などはなく、母子はとても貧しい生活をしていたそうです。
生活保護を受けながら、母親は内職をして、山口百恵さんは中学1年生の時には新聞配達のアルバイトをしながら家計を助けていました。
中学1年生でアルバイトをしながら母親を支えるというのはなかなか過酷な生い立ちですよね・・・
父親は毎週日曜だけは家にやって来ていたようですが、時には本妻が影から睨んでいることもあったというので、複雑な家庭で育っていますね。
父と母が交際をしていて、山口百恵さんを妊娠した時には「責任を持ってきちんとします」と母の父親に対して語っていたそうですが、実際には金銭的援助はなく・・
戸籍に書かれた娘の名前の上には「認知」という言葉が書かれていたそうです。
生い立ち③母親のためにアイドルへ?
想像しただけでも辛い素性を抱えている山口百恵さん。
ですが、母からは深い愛情を受けて育ち、母子の関係は深い信頼関係で結ばれていました。
5歳年下の妹もいたことから、
「母と妹を楽させたい」
その一心で山口百恵さんは芸能界入りを果たしています。
当時14歳。
14歳の少女が大金を稼ごうと思えば、新聞配達では厳しく芸能界という道しかありません。
14歳で自分の人生を決めるってかなり大きな決断ですよね。山口百恵さんは母と妹という大切な家族を背負って、芸能界入りを決断されたんですね。
山口百恵さんはホリプロから1973年にデビューをしますが、当時は「歌手としては厳しい」という事務所の判断もあり、百恵さんはセクシー路線で売り出されることになります。
「ひと夏の経験」など中学生の少女が歌うにはきわどい曲を、静かな低めの声で歌うという独自路線が受け、一気にトップアイドルへと登りつめた山口百恵さん。
性的な想像もさせるような歌詞でしたが、「母と妹を幸せにする」その一心で耐え忍ぶかのように歌い続けた山口百恵さん。
これまでのバックグラウンドを知ったうえで改めて歌を聴くと、これまでとは違った印象になりますよね。
山口百恵さんはいったいどんな気持ちで歌っていたのでしょうか・・グラビアなどの水着の仕事もしていましたが、複雑な生い立ちで苦労してきた母や妹のため、そう思ってやられてきたんでしょうか。
自身の出生の秘密が週刊誌に暴露された時にも、「愛人の子」としてこれまでに一度も引け目を感じさせてこなかった母に対する感謝が増したと語っている百恵さん。
山口百恵さんの母に対する深い想いを感じますよね。
セクシー路線でグラビアなどもこなしていた彼女でしたが、その後は、女優としても才能を発揮して、1974年には「伊豆の踊子」で主演も果たします。
山口百恵の父親はどんな人?
山口百恵さんや母親が生活保護を受けながら貧しい生活をしていてなお、経済的援助はしなかった父親。
父親はいったいどんな人物なのでしょうか。
ここからは父親についてもう少し詳しく調べていきます。
父親は医者で久保茂?
母親と愛人関係にあったという山口百恵さんの父親。
この父の名前は「久保茂」さんだといわれています。
そして、職業は医者だったとか。
医者というと、金銭的には恵まれてる印象がありますが・・・
目の前で貧困状況にある母子を見ても助けようという気持ちにはならなかったんですね・・
父親は韓国人?
また、父親について、国籍が韓国人という噂もあったのですが、こちらはあくまでも噂のようでした。
というのも、山口百恵さんは小学生から中学生でデビューするまでの間、神奈川県の横須賀市に住んでいました。
横須賀市には在日韓国人の方などが多く住むコリアンタウンがあったりしたので、一部では山口百恵さんも在日なのでは?との噂になったようですね。
父親は暴力を振るう?
そして、父親の久保茂さんは、山口百恵さん達親子に金銭的援助をしないばかりか、時には暴力も振るうこともあったそうです。
もしかしたら山口百恵さんも、母親が殴られるところを見たり、自分自身も暴力を振るわれたりしたのでしょうか・・
本当に壮絶な生い立ちですよね。
山口百恵さんが父親のことを「あの人」と呼ぶほど憎んでしまった理由も分からなくはないです。
娘にお金の無心に来る父親
山口百恵さんが子供の頃には父親らしいことは何ひとつしてこなかった久保茂さん。
そんな父親を相当恨んでいたという山口百恵さん。
ですが、山口百恵さんが芸能界で売れ出すと、父親の態度は一変します。
娘に対してお金をたかるようになったり、事務所に勝手に借金をしようとしたり、マスコミにも勝手に売名行為を始めたりもしたとか・・・
最終的には母親に対して山口百恵さんの親権の変更まで申し立てたそうです。まだ当時中学生だった山口百恵さんからすると、かなり辛い出来事ですよね。
父親に手切れ金を払い絶縁
「私には、父はいない。一つの肉体としてあの人が地球上に存在していたとしても、私はあの人の存在そのものを否定する。」
この言葉は山口百恵さんが自身の生い立ちを記した自叙伝の中に出てくる言葉です。
幼少期から父親のことを恨んでいて、芸能界入り後に確執が深まった親子関係を、山口百恵さんはお金で解決を図ろうとします。
相当の手切れ金を渡し、親子の縁を切るという選択をしました。
当時の年齢は10代後半。
子の年齢で愛人関係だったとはいえ、自分の父親に対して絶縁を申し出るって、どれだけ覚悟が必要だったのでしょう。
山口百恵さんの父親に対する深い感情が伝わってきますよね。
山口百恵の引退理由は生い立ちが原因?
【11月19日の出来事】
1980年 のこの日、歌手で女優の 山口百恵さんと俳優の三浦友和さんが港区霊南坂教会で結婚式を挙げる。
披露宴のテレビ中継はありませんでした。 pic.twitter.com/lrvSyVKiL6— Playback-part3 (@1985halfmoon) November 18, 2017
芸能界では歌手・女優としてトップに登りつめたいましたが、人気絶頂期に引退という道を選びます。
三浦友和との結婚
山口百恵さんが引退するきっかけとなったのが三浦友和さん。
2人は「プリッツ」のCMで共演したことがきっかけで交際に至ります。そして、コンサートで自らの口で交際について告白し、当時人気絶頂期にあったにもかかわらず、潔く引退。
引退後は復帰もせずに、芸能界とはスパッと関係を断っています。
引退の真相には父親の影?
三浦友和さんとの結婚が引退の理由と表向きには言われていますが、一部では引退の影には父親の存在があったのでは?との憶測もあります。
先ほどお伝えした通り、父親は娘の親権を奪おうと異議申し立てもしています。
そして、山口百恵さんはこの父親と完全に縁を切るために、そして結婚して三浦百恵さんとして生きていくために、かなりの金額の手切れ金を払って引退を決めたのでは?とも言われています。
真相のほどは分かりませんが、いずれにしても親子の間の確執が相当に深いことは分かります。
山口百恵の現在は?
そして、現在の山口百恵さんですが、芸能界引退後は三浦友和さんの妻として、2人の子供にも恵まれています。
2人とも芸能活動をしていますし、今ではキルト作家としても精力的に活動してるとの話もありました。
複雑な生い立ちを抱え、不遇な幼少期を過ごした山口百恵さん。
今は愛する夫と可愛い息子2人に囲まれて幸せな人生を歩まれているようですね。
山口百恵さんの父親・久保茂さんについては、最終的に東京郊外の老人ホームで独り寂しく生涯を終えたと言われています。
最後まで、山口百恵さんから拒絶され続けたことに怒りをあらわにしていたともいわれていますが真相のほどは分かりません。
バックグラウンドを知ることで、山口百恵さんが醸し出していたどこかもの悲しい雰囲気も納得でした。
壮絶な生い立ちを抱えていたからこそ、日本中から愛されるトップアイドルにもなったんでしょうね。
今でも人気がある理由が少し分かった気がしました。
山口百恵の生い立ちが凄惨すぎ…父親への憎しみは息を呑むほど|まとめ
今回は、山口百恵さんの生い立ちや父親との関係を調べ見ました。
山口百恵さんの生い立ちを改めて調べてみると、なぜ山口百恵さんにはあんなに「哀愁」という言葉がはまるのか、どこかモノ悲しい雰囲気なのはなぜなのかということがよく分かりました。
一方で、辛い生い立ちから逃げずに自分で立ち向かってきたからこそ、山口百恵さんの曲に感動するのだったんですね。