40歳という若さでこの世を去ったZARDの坂井泉水さん。
死因には様々な憶測が走りますが、子宮頸がんで闘病中だったことは明らかになています。
慶応義塾大学病院で抗がん剤治療などの闘病生活を送っていました。
子宮頸がんは早期発見で治りやすい病気ですが、坂井泉水さんは全身に転移してた?他の病気も患っていた?と様々な憶測があります。
今回は坂井泉水さんの病気に焦点をあてて、闘病生活を振り返ってみました。
坂井泉水は子宮頸がんだった?
坂井泉水さんが亡くなったのが2007年。
その1年前の2006年4月に子宮頸がんの診断を受けたと言われています。
2006年の4月に仕事でミュージックビデオを撮影した際、急激に腹部に激痛が走り、救急搬送されています。
その時に病院で子宮頸がんを告知されたといいます。
診断から2か月後の6月には卵巣の摘出手術を受け、7月には退院。
ですが、翌年、再発して再度入院をし、抗がん剤治療を受けていたとのこと。
子宮頸がんというと一般的には、子宮頸がんは定期的に検査をしていると比較的早期に発見しやすく、適切な処置をすれば、転移することはないとも言われています。
つまり、早期発見ができれば比較的治りやすいガンということですよね。
坂井泉水の子宮頸がんのステージは?
一方で、坂井泉水さんの子宮頸がんは肺へも転移していたとの話もありましたので、もしかしたら坂井泉水さんの子宮頸がんはそれなりにステージが進んでいた状態だったのかもしれません。
坂井泉水さんの子宮頸がんのステージがどの程度のものだったのかは公表されていませんでしたが、肺への転移などの状況を考えるとそれなりに進んだステージだったのかもしれません。
ネットではステージは4だったのでは?との情報もありました。
子宮頸がん以外の病気も?
坂井泉水さんは子宮頸がんを患っていたとされるとされていますが、実は子宮頸がん以外にもずっと病と闘ってこられていたことが、亡くなった後に分かっています。
坂井泉水さんは2007年に亡くなってしまいましたが、2000年以降は様々な病気と闘ってこられたそうです。
坂井泉水さんの病気との闘病歴を改めて振り返ってみると、
2000年以降 | 子宮筋腫、卵巣脳腫、子宮内膜症という女性特有の病気を次々と発症 |
2006年4月 | 子宮頸がん発症 |
2006年6月 | 卵巣の摘出手術 |
2007年 | 癌が肺に転移。抗がん剤を開始 |
2000年以降はずっと病気と闘ってこられてたんですね・・
2006年に子宮を全摘出した時は39歳とのことだったので、女性として苦しい決断をされていたということですね・・
坂井泉水の闘病生活とは?
人気歌姫の闘病生活はその当時はほとんど語られることはなく、亡くなった後に病気だったと知ったファンも多かったようです。
抗がん剤治療に入る前には親しい仕事関係者に「私、怖いんです」と内に抱える不安を打ち明けていたことも分かっています。
また、抗がん剤治療が始まり、副作用で髪が抜けてしまった時にはとてもショックを受けていたという話も。
女性にとって髪が抜けるって非常につらいですよね・・
でも、一方で、治療には前向きに取り組んでいたようで、亡くなる直前も歌詞を書いていたり、ツアー復帰に向けて準備をしていたという話もあります。
坂井泉水さんが亡くなった直接の原因は子宮頸がんなど病気ではなくて、病院のスロープからの転落死でしたが、復帰を目指して辛い闘病生活を耐えていたんですね・・
ほとんどテレビに出なくて、どこかミステリアスな印象の強かった坂井泉水さん。
亡くなってもう10年以上がたつのですが、今だに根強い人気があり、ファンに愛され続けています。
毎年命日や誕生日にはお墓を訪れるファンが後を絶たないと言いますし、卒論の題材に坂井泉水さんを選ぶ学生もいるほどです。
生い立ちや家族構成にも謎が多く残っていたりする点も今なお人を惹きつける要因になっているのでしょう。
今なおファンクラブ会員も増え続けている大人気歌姫。
亡くなってなお、私たちの心に生き続けるってすごい方ですよね・・
改めて坂井泉水さんの偉大さを感じました。
坂井泉水の子宮頸がんのステージは?病気の真相を調査!まとめ
今回は坂井泉水さんの闘病生活に焦点をあてて調べてみました。
子宮頸がんで闘病生活を送る中でなくなってしまった坂井泉水さん。
一部では子宮頸がんのステージはかなり進んだものだったのでは?との憶測もありました。
レースクイーンから日本のトップアーティストにまで上り詰めた歌姫は、亡くなってなお、大人気だということがよく分かりました。